福島県福島市 福島北裡商店街 ホームページ
北裡商店街をご紹介

■ご挨拶 北裡商店街元会長 菅井康雄

商店街の地図こんにちは!北裡商店街です!!
当商店街はこれからご紹介していくように、その成り立ちから様々な歴史を刻んできた由緒ある商店街です。時の流れで廃業・移転入・そして新たにマンションや駐車場などと、新しい歴史を又作り始めています。そこで改めて昔からの良さを再発見、再認識しつつ新しい商店街のために努力しているところです。
北裡の今、私たちは

子供やお年寄りの方も安心してお買物が楽しめる、心の交流のある商店街

と思っています。
是非お出かけ下さいませ。

商店街の地図■北裡商店街の範囲

現在、北裡商店街と呼ばれるのは、4号線から中央通りを北西に向かって県庁通りに当たる稲荷神社交差点までの範囲のことで、北町の一部、仲間町、宮町が含まれています。 また以前は駅前までの中央通り一帯を全て北裡と呼んでいました。ちなみに中央通りは明治30年頃に開通し、それまでは現在の商店街の範囲までしか道が開かれていなかったので「北仲通」と言われていました。

■北裡という名前の由来

江戸時代、今の豊田町の中心を北から南に走る旧電車通りと北町の明治病院前の通りは奥州街道として整備され、福島城下を基に現在の大町付近を「西裏」、豊田町付近が「東裏」、上町・舟場町付近を「南裏」、北町付近を「北裏」と呼んでいました。加えて現在の北町と上町付近は奥州街道を挟んで北町と南町に分かれ、一括して通称北南町(きたみなみまち)と言っていましたが、その頃から北町の裏は「北裡」と呼ばれていたのです。この時、北町よりも北である今の仲間町や宮町付近は田んぼだったため名前は付いていませんでしたが、後の明治8年に仲間町、30年に宮町ができ徐々に区画整備がされて現在に至っています。
しかし、なぜ「裏」ではなく「裡」にしたのかというと、そもそも、この「裡」という字は「裏」の異体字で、着物の上に着る羽織の「裡」を表しています。現在もそうですが、昔から羽織の「裡」を派手にしてお金をかけることは、とてもオシャレで上流階級の証でもありました。そのため、昔の芸者さんたちはお客さんの羽織の「裡」を見て裕福かどうかを判断していたそうです。
そういうことから遊郭や娯楽施設の賑わいが、とても派手だったことを表現するために「裏」という字を使わずに「裡」を使ったのです。
当て字をして文字に二重の意味を持たせるとは、昔の人は粋なことを考えます。

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